自前用メモ考察:動的CIモデルの動的コンテキスト空間考(続き)

私が仮定する言語の仮想動的構造は、チョムスキー生成文法論が妥当であるならばそこでいう普遍文法の性質に近いものを想定している。(といいながらまだ定義してなかったりして)

ただ、普遍文法自体が生得的な認知構造を(暗に?)前提としている以上、普遍文法はあくまで認知主体が現象との接触(の連続)により相対化・構造化しうるような、動的構造化の能力的ポテンシャルであり、普遍文法それ自体が連続的にコンテキストを解釈しつづけるような動的状態ではない。この状態にかかわる定義のオープンエンドのため、私はあえて普遍文法を人間に生得的な能力であるとは前提しない。むしろ、認知的接触による契機によって見出される、現象のシミュレーションと、それに対する、外界現象と切り離された任意模倣としての認知主体(self)形成、さらにそれらの間の(適切または不適切な)相対化認知というものを、言語の仮想動的構造として考えたい。比喩ではあるが、これは普遍文法に近い性質を持つ。

生成文法
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E6%88%90%E6%96%87%E6%B3%95

普遍文法
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E9%81%8D%E6%96%87%E6%B3%95

生成文法と言語獲得
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E6%88%90%E8%A8%80%E8%AA%9E%E5%AD%A6#.E7.94.9F.E6.88.90.E6.96.87.E6.B3.95.E3.81.A8.E8.A8.80.E8.AA.9E.E7.8D.B2.E5.BE.97


ならば、認知文法のような先験的な言語構造を認めない、経験論的な構造化と生成についてはどうだろうか。認知文法は、認知の生成を基点として展開する方法論という観点からはより本質的であると思うが、どうも構造の再現性を追及していない面があるような気もする。

認知文法
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E8%A8%80%E8%AA%9E%E5%AD%A6#.E8.AA.8D.E7.9F.A5.E6.96.87.E6.B3.95

こんなのもあった:
「レナード・タルミーによる力動性(フォース・ダイナミクス)の理論は、人間による状況の言語化は物理的な因果関係のモデルに基づいて行われるとするものであり、メタファー論や認知文法と密接な関連をもつ。」

このあたりに近いのだな〜。そうか、こういうのもあったんだな。後で買って読もう。
http://en.wikipedia.org/wiki/Leonard_Talmy
http://en.wikipedia.org/wiki/Force_Dynamics

さて、私の試みとしての言語の仮想動的構造は、(ここから少し定義っぽくなるかな)人間がどうやって認知するかということの解釈や比喩よりは(いや比喩にはなるかも)、実装可能なCIのベースとなるような仮想動的構造であり、実装されるCI以前に、仮想的に実行される、なんちゃって言語の仮想動的構造ということになる。。。

  • ルールセットによる自動ゲームともいえる
  • ゲームは終わらないが、暴走しない
  • 暴走しないが、構造化する
  • 動因モデルにおいて、実装との接点を持つ

あとで続けよう